監督紹介
東山高等校サッカー部監督 福重良一監督
サッカー歴 | 和歌山工業高校➡大阪体育大学➡京都パープルサンガ(現京都サンガFC) ➡大塚製薬(現徳島ヴォルティス) |
指導歴 | 初芝橋本高校➡大阪体育大学➡東山高校 |
主な教え子 | 金 明輝さん(FC町田ゼルビア ヘッドコーチ) 辻尾 真二さん(ツエーゲン金沢クラブアンバサダー) 酒本 憲幸さん(セレッソ大阪クラブアンバサダー) |
現役選手 | 森 俊介選手(奈良クラブ) 岡 佳樹選手(ヴァンラーレ八戸) 鎌田 大地選手(アイントラハト・フランクフルト) 池田 昌生選手(湘南ベルマーレ) 大久保 優選手(ガイナーレ鳥取) 阪田 澪哉選手(セレッソ大阪) ・プロ選手は現役選手も含め25名輩出 |
目指すサッカー
隙のない、堅実な守備から、アイデア溢れるスピーディーな攻撃を展開するサッカーです。 その中でGKは声でゴールを守り、ビルドアップに参加できる能力を持ち、キャプテン翼の石崎君のように、ガッツ溢れるプレーができるDFの選手がいて、中盤には際立った特徴のある選手が自由自在にプレーし、FWは点を取るために心を強く持ち、果敢に挑戦できる選手がいるチームを目指しています。 また選手1人1人の特徴が活かされるチーム、選手自身がサッカーを楽しんでいるチームを作る事が理想です。 「楽しむ」というのは、ただ単に遊びやふざけたりするのではなく、こだわりを持って真剣に目的や目標に向かっている姿が、サッカーを楽しんでいるということです。 |
指導をする上で1番意識していること
○選手と接する時に好かれることを意識しない。 選手に好かれることよりも、その選手が上手く、強く、変われるような言葉を選んで接しています。慕われることは大事です。 ○やるべきことをやる。 指導をして選手がすぐに実践できることはありません。信念を持ち続けて指導することを意識しています。 |
1番やりがいを感じる時
我々より強いチームにどうすれば勝てるのかを考え、行動を起こし、実行している時です。 例えその結果、負けたとしても格上の相手に喰らいつき闘い抜く姿を見た時に指導者としてのやりがいを感じます。 |
サッカーとは
3度の飯よりも大好きな物です。 寝ることも犠牲にできます。 何にも変えることのできない、生きがいです。 |
選手時代について
どうすれば上手くなるかということを常に考えていました。 高校時代(和歌山工業高校)は、まだJリーグが発足していなかった時でしたから、「Jリーガーになりたい」とか「海外でプレーしたい」という考えもなく、ただもっともっと上手くなりたいという気持で日々過ごしていました。 大学時代(大阪体育大学)のチームメイトは本当にレベルの高い選手だらけでした。日本一を目指していましたし、卒業後にプロに行く選手も沢山いました。4年間はとにかくチームメイトに追いつき追い越すための努力を続けていました。努力が報われたのかプロチームから誘いがあり、京都パープルサンガ(現京都サンガFC)に入団しました。 サンガに入団後、チームで1番下手だという事を自覚していたため学生時代以上に毎日努力をしました。チームの誰よりも練習しました。1番早くグラウンドへ行き、チーム練習後も最後までグラウンドに残り自主練習を続けました。 (多少、監督からの強制的な部分もありましたが) 下手な私でしたが1年目から試合に出場することもでき、その後もただ純粋に上手くなるために努力を続けました。 |
記憶に残っている試合
1995シーズン 鳥栖フューチャーズ(現:サガン鳥栖)との試合。この試合はJリーグ昇格をほぼ決定づける試合でもありました。 会場だった西京極陸上競技場(現:たけびしスタジアム)は20200人の超満員。 1ー1のままPK戦に突入。1本1本蹴り終わるたびにスタジアムが揺れたのを覚えています。(ちなみにPKはど真ん中に決めました。) 相手GKは当時の日本代表の松永成立選手でした。 カメルーン代表のステファン・タタウ選手も印象に残っています。 |
印象に残っている試合(高校時代)
選手権全国大会初戦の市立船橋高校との試合は印象に残っています。 結果は1-2で負けはしたが、全国の高いレベルを経験でき自分の特徴も出せた非常に充実した試合でした。その試合で解説のセルジオ越後さんが、私のロングキックを絶賛してくれたのも印象に残っていますし、その後のプレーヤーとしての自信にも繋がっていました。 その時の市立船橋高校には小川誠一選手(元名古屋グランパス)や、野口幸司選手(現サッカー解説者)などの後にJリーガーとなる選手が多数在籍していました。 |
印象に残っていること
1993シーズン ヤマハFCジュビロ磐田(現ジュビロ磐田)戦で当時日本代表の中山雅史選手(現アスルクラロ沼津)のマンツーマンを命じられ、中山選手のあまりの運動量にハーフタイムにロッカールームで嘔吐したこと。体力には自信がありましたが、そのはるか上をいくレベルだったのを覚えています。 |
印象に残っているプレイヤー
チームメイトではラモス瑠偉選手、元ウルグアイ代表のサンティアゴ・オストラサ選手が印象に残っています。 代表選手として世界を経験している選手からサッカーの厳しさや奥深さを日々学びました。 対戦チームでは先ほど話した中山雅史選手、身長は高くないが素早い動き出しや駆け引きが上手かった森島寛晃選手(現セレッソ大阪代表取締役社長)、アマラオ(ワグネル・ぺレイラ・カルドーゾ)選手(元FC 東京)にも衝撃を受けました。 この選手達との対戦が自分の守備レベル向上のきっかけとなりました。 |